不思議な彼女の物語
2024.11.17

出会い
彼女と初めて出会ったのは、私が小学校6年生の担任を務めた年のことだ
その存在感は、一目で「不思議な子」という印象を与えるものだった
生活・行動の様子
時間の感覚が曖昧で遅刻が多く、
毎朝「今日は学校に来るのだろうか?」と気を揉む日々。
時には、授業の合間を縫って彼女を迎えに行くこともあった
家でパジャマ姿のままの彼女を見つけ、調子の良い日はそのまま一緒に
学校へ向かうことも珍しくなかった
彼女の興味の中心は、当時「将来ユーチューバーになりたい」という夢だった
好きなユーチューバーの話を嬉々として語る姿は、
無邪気さと独特の感性を感じさせた
勉強については特に問題なく、理解力は十分
むしろ、彼女にとっての課題は「社会で生きる力」、
つまり社会性の育成だった
周囲との関わりと家庭環境
学校生活では、他学年の女子が彼女を手助けする場面がよく見られた
一方で、親しい友人との関係ではトラブルになることもあり、
その付き合い方の難しさを垣間見ることがあったあ
家庭環境についても一筋縄ではいかない
両親ともに特有の課題を抱えながらも仕事を持ち、
自立して生活していたが、時には祖母の助けを借りることがあった
例えば、学校での集金が遅れるといった場面にも、
家庭環境の影響が現れていた
文部科学省の2022年度調査によると、
公立小中学校の通常学級に在籍する児童生徒の約8.8%が
発達障害の可能性を抱えているとされている
しかし、彼女の場合、6年生になるまで特別支援を行ったり
発達障害の検査が行ったりすることはなかった
特別支援学級対象児としての名前にすら
挙がっていなかったのは驚きですらある
学習面や行動面で顕著な困難を示す可能性があったにもかかわらず、
適切な対応がされなかったことは、
将来の進路や生活に影響を及ぼす可能性があった
彼女の疑問と世界観
「なぜ学校に通わなければならないのか」
「どうして掃除をする必要があるのか」
彼女が真顔で発する問いには、彼女の世界観が凝縮されているようである
これらの疑問は、大人にとって当たり前に感じられる
ルールや慣習への素朴で鋭い視点を示していた
それは同時に、彼女が抱える内面の葛藤や、
自分自身と外界との違和感の表れでもあった
未来を見据えた支援の必要性
私は彼女が卒業後も安心して中学校生活を送れるよう、
適切な支援を繋ぐことを目標にした
中学校へ引き継ぐ際には、できる限り詳細な申し送りを行い、
必要であれば専門的な検査を受けられるよう環境を整えることを考えた
もし発達障害があったとしても、
それを正しく理解し、適切な支援を行うことで、
彼女の未来の可能性を広げることができるはずだ
母親との話し合いの中では、
家庭内でも彼女への理解が深まっている一方で、
「受け入れたくない」という微妙な感情が見え隠れしていた
母親自身が孤立感を抱えながら悩む様子も伺えた
就学前の段階で保健師や保育園などの支援機関と連携し、
早期に対応していれば、よりスムーズな環境作りが
可能だったかもしれないと考える
教師としての信念
私は、彼女の「不思議さ」をただの特徴として捉えるのではなく、
彼女の特質を深く理解し、得意なことを伸ばしながら
苦手なことを克服していくための支援が必要だと考えていた
彼女の持つ疑問や探究心を尊重しながら、
具体的な指導を構築すること
それが彼女の未来を支える最善の道だと信じている

メンタルオフィスKaze代表の視点
子どもと関わり育てていくためには、
子どもの特質や様々な行動特性に目を向けなければなりません
それらを無視しては、適切に教育し、育てていくのは不可能です
それは、個々の子どもによって異なるという厄介な対応を親や周辺の大人に迫るものです
その点で言えば、多くの選択肢と可能性を持っておく必要があります
そのことで、いくつかの中から、フィットするものを選ぶことが可能になるのです
目の前にいる子が普通であるかどうか?
すべての子が普通であるという意識に置き換えなければなりません
決して特別なことではないということです
仮に子どもが障害があり、特別な対応が必要であったとしても
理解するのは私たちであって子どもではありません
あなたの理解が、あなたの目を逸らさせることで成り立ってはいけないのです
しかし、一般的社会が存在する以上
子どもがいかに社会に適合していくか、
これは、無視できない事実です
未だに見えぬ未発達な社会の現実、多様性を認められない社会の現実の中から、
生きていくという営みを、子どもがどう理解していくか、これが周りの心配の種になります
社会の現実という基準に沿って、どう子どもが生きていくか、
学校や家庭での生活の中で、社会をイメージしながら子どもたちをいかにして、適応させていくのか、
無視できない現実にあります
一定の枠の中で生きていく、もちろん私たちの生きる社会は、自由であり平等です
しかし、今の社会において
ある一定の枠組みの中での生活を可能にしなければ、
「生きづらさ」となって子どもにのしかかってしまうのです
こう考えていくと不可能な課題に思えます
教育とは、子どもが枠組みの中にうまく順応することを教えるのか、
それとも、子どもが自分の可能性を社会という枠組みに囚われることなく
自由に表現できると捉えるのか、による葛藤が私たちの中に生まれてきます
例えば発達障害は、子どもの責任ではありません
当然のことです、誰の責任でもありません
子どもたちは多様な姿で多様に生まれてくるのですから、
しかし、親はそうなったときに、子どもと正面から向き合えるのかという
問題を背負ったときに、
本当は目を逸らしてしまいたいという
正直な気持ちの中で様々な思いを理解をしていきます
この思いは、スタート時点で周りからの情報を遮断してしまうことにつながります
上記の事例は、上学校6年生段階でも、
子どもの特質を親は分かっていながらも、目を塞いでいます
親は知っているのです
加えて、学校にも責任がありました
子どもにとって改善していきたい成長の課題を、
親と学校は共有していません
学校は中学校に進学する6年生段階で、進学後に子どもにとって何が必要か、
進路に関する準備を進めることができていないのです
ここまで読んでいただければ、
親のやるべきこと、学校のやるべきことが見えていると思います
子どもを中心に、子どもに必要な対応を行うことを、
どの子にでも同様に行っていくことです
早い段階で必要な対応をしていかなければ、
早く改善していくことが遅くなる
将来の進路を確保することが不十分になる(特別支援関係)
子どもが自分自身の悩みを抱えて行ってしまう
ことなど、
子どもの成長を支える友として、共に、
生まれたときからすでに始まっている子どもの成長と将来の幸せを、
周りの大人のエゴに流されず、
本当の意味での「子どものために」を
実践してほしいと願います

サロン概要
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